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1954年に、放送時と同じデザインの人形絵本<ref>{{cite book | author=飯沢匡|title=三びきのこぶた|publisher=トッパン|year=1954}}</ref>(構成・文 飯沢匡、人形制作: 川本喜八郎、人形デザイン: 土方重巳)が出版された。
 
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このときはまだ、「ブーフーウー」という名前は付いていなかった。
 
このときはまだ、「ブーフーウー」という名前は付いていなかった。
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この連載では、オオカミにロドリゲスという名前がついていた。
 
この連載では、オオカミにロドリゲスという名前がついていた。
 
キンダーブック1960年8月号<ref>{{cite journal|journal=キンダーブック|volume=15|issue=5|publisher=フレーベル館|date=1960-08}}</ref>には、「ぶーふーうーのうた」というタイトルの楽譜が掲載されている。作詞作曲と歌詞は放送時のものと同じだが、曲が少し異なっていた。
 
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* 人形について
 
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* 1976年9月11日から、「ペリカンおばさん」のコーナーで隔週でリバイバル放送された。声優は大山のぶ代、堀絢子、増山江威子。人形は作り変えた。<ref>{{cite news|title=「ブーフーウー」復活|newspaper=読売新聞|date=1976-09-10}}</ref>
 
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2023年12月31日 (日) 15:30時点における最新版

ブーフーウー』は、NHKの幼児番組『おかあさんといっしょ』内の人形劇。

放送期間

  • 1960年9月5日 - 1967年3月28日: 月曜日、火曜日

内容

メキシコに住む三匹のこぶた(ブー、フー、ウー)の物語。 司会のお姉さんが毎回カバンから三匹の人形を取り出し、ネジを巻いてボタンを押すと動き出す。[1]

放送開始以前

『ブーフーウー』という作品は放送前から存在した。 1954年に、放送時と同じデザインの人形絵本[2](構成・文 飯沢匡、人形制作: 川本喜八郎、人形デザイン: 土方重巳)が出版された。 このときはまだ、「ブーフーウー」という名前は付いていなかった。 1956年に、『婦人公論』[3]で「ブーフーウー」(作: 飯沢匡、絵: 土方重巳)の連載が始まり、このとき初めて「ブーフーウー」という名前が登場した。[1] この連載では、オオカミにロドリゲスという名前がついていた。 キンダーブック1960年8月号[4]には、「ぶーふーうーのうた」というタイトルの楽譜が掲載されている。作詞作曲と歌詞は放送時のものと同じだが、曲が少し異なっていた。

その他

  • 飯沢匡がNHKに放送脚本を依頼されたときに、指定するデザイナーと製作者をつかうことを条件とした。[1]
  • 人形について
    • 人形の制作費が高かったため、13回以上使うことを条件とした。[1]
    • 四体の人形の制作費に百万円をかけた[5]
    • ブー、フー、ウーとオオカミの人形は大中小の三通り存在し、12体の人形の費用は約50万円。[6]
    • 人形は1体20万円[7]
  • 1963年3月で一通り終わり、4月からアンコールという形だった。[6]
  • 1976年9月11日から、「ペリカンおばさん」のコーナーで隔週でリバイバル放送された。声優は大山のぶ代、堀絢子、増山江威子。人形は作り変えた。[8]
  • 1978年3月21日に、NHKでテレビ開始25周年の記念放送があり、ブーフーウーが舞台に登場した。飯沢匡はそれまで人形が動き出すという夢を壊すという理由でブーフーウーを舞台に上げることを断っていた。[9]
  • 飯沢匡は「ブーフーウー殺人事件」という推理喜劇を書いた。勝手にブーフーウーの名前をつけたレストランやマンションがあり、嫌がらせる目的もあって、殺人事件とつけた。[10]

スタッフ

  • 作: 飯沢匡[11]
  • 作曲: 小森昭宏[11]
  • 人形操作: ひとみ座[11]
  • デザイン: 土方重巳[1][11]
  • 制作[1]
    • シバ・プロダクション
    • 協力
      • 田辺朋子
      • 宮坂元子
      • ひとみ座
  • 司会[11]:
    • 荻昱子(1965年11月08日まで[12])
    • 里見京子(1965年11月15日から[13])
    • ブー: 本野麻耶(「NHK」1960年10月1日号[14])、大山のぶ代(「NHK」1961年3月1日号[15])
    • フー: 三輪勝恵
    • ウー: 黒柳徹子
    • おおかみ: 永山一夫
    • ペロちゃん: 堀絢子 [16]
  • 操演[11]
    • 高橋悦史
    • 高見映
    • 東京放送児童劇団
  • 演出: 田村洋 [11]
  • 振り付け: 三輝容子[11]
  • 美術: 荒木幹夫[17]

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 『放送文化』第16巻第2号、日本放送出版協会、1961年2月。
  2. 飯沢匡『三びきのこぶた』トッパン、1954年。
  3. 『婦人公論』第41巻第4号、中央公論社、1956年4月。
  4. 『キンダーブック』第15巻第5号、フレーベル館、1960年8月。
  5. 『婦人倶楽部』第41巻第14号、講談社、1960年11月。
  6. 6.0 6.1 「ブーフーウーの世界」『朝日新聞』、1963年6月2日、23面。
  7. 『NHKのおかあさんといっしょ』第5巻第9号、講談社、1989年9月、52頁。
  8. 「「ブーフーウー」復活」『読売新聞』、1976年9月10日、{{{page}}}面。
  9. 「TVの25周年回顧」『毎日新聞』、1978年3月25日、{{{page}}}面。
  10. 飯沢匡『飯沢匡喜劇全集6』未来社、1993年。
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 11.5 11.6 11.7 みやしたゆきこ『おかあさんといっしょのあ・い・う』くまざさ出版社、2000年、99頁。ISBN 978-4938546427。
  12. おかあさんといっしょ | 番組表検索結果詳細 | NHKクロニクル”. 2021年1月31日閲覧。
  13. おかあさんといっしょ | 番組表検索結果詳細 | NHKクロニクル”. 2021年1月31日閲覧。
  14. 日本放送協会、『NHK』第1巻第11号、NHKサービスセンター、1960年10月1日。
  15. 日本放送協会、『NHK』第2巻第5号、NHKサービスセンター、1961年3月1日。
  16. 『放送文化』第29巻第4号、日本放送出版協会、1974年4月。
  17. 日本テレビ美術家協会『テレビアートのすべて』ベストセラーズ、2002年、59頁。ISBN 9784584170878。

参考文献

  • 日本放送協会、『NHK』第1巻第9号、NHKサービスセンター、1960年9月1日。
  • 日本放送協会、『NHK』第1巻第11号、NHKサービスセンター、1960年10月1日。
  • 日本放送協会、『NHK』第1巻第16号、NHKサービスセンター、1960年12月15日。
  • 日本放送協会、『NHK』第2巻第5号、NHKサービスセンター、1961年3月1日。
  • 日本放送協会、『NHK』第2巻第14号、NHKサービスセンター、1961年7月15日。
  • 日本放送協会『NHK年鑑1962』日本放送出版協会、1961年、193頁。
  • 日本放送協会『NHK年鑑1962 No.2』日本放送出版協会、1962年、106頁。
  • 日本放送協会『NHK年鑑1963年版』日本放送出版協会、1963年、106頁。
  • 日本放送協会『NHK年鑑1964年版』日本放送出版協会、1964年、113頁。
  • 日本放送協会、『NHK』第6巻第5号、NHKサービスセンター、1965年3月1日。
  • 日本放送協会、『NHK』第6巻第15号、NHKサービスセンター、1965年8月1日。
  • 日本放送協会『NHK年鑑1965年版』日本放送出版協会、1965年、139頁。
  • 日本放送協会『NHK年鑑1966年版』日本放送出版協会、1966年、103頁。
  • 日本放送協会、『NHK』第8巻第3号、NHKサービスセンター、1967年2月1日。
  • 日本放送協会『NHK年鑑1967年版』日本放送出版協会、1967年、110頁。